プラスチック・リサーチ・アンド・デベロップメント・コーポレーション
Plastic Research And Development Corporation
プラスチック・リサーチ・アンド・デベロップメント・コーポレーション
このサイトを訪れる方々も、一度ぐらいはPRADCOってなんだろうと思われたことがあると思う。アメリカのルアーメーカーのようだけど、プラドコというブランドのルアーはない。ヘドンやポーマー、レーベルなどといったいどういう関係なんだろう。
各ブランドの輸入業者?商社のようなもの?と悩んでいる人もいるかもしれない。またその疑問が解けないまま、別に試験に出るわけでもないので悩むことすら忘れてしまったという人も多いだろう。
ここできっちりとお答えしましょう。プラドコ社はここに掲載したロゴマークの、みなさんよくご存じのブランドのルアーを正式に作っている本家本元のメーカーです。
PRADCOは元々、Plastics Research And Development Corporation(プラスティック・リサーチ・アンド・デベロップメント・コーポレーション)を略して社名にしたものだ。
1961年、ジョージ・ペレン氏よって設立された。この名前を聞いて「あっ」と気づいた人もいるだろう。「REBEL」の創業者である、あのジョージ・ペレン氏だ。
氏は1961年、プラスティックの成型を業務とするプラドコ社を興し、冷蔵庫の中の引き出しやキッチンキャビネットのプラスティック部品を作っていた。この時点では会社は釣りとは関係がなかった。ところがこのペレン社長、根っからの釣り好きだった。
当時、一世を風靡していたルアーがあった。
ラバラのバルサ製ミノーだ。ペレン氏はこれを超えるルアーをプラスティックで作りたくてしょうがなかった。材質にムラのあるバルサではなく、安定した浮力や動きを出せるミノーを作りたかったのだ。そしてルアーは完成する。しかしブランド名がない。プラドコではピンとこない。そこで地元の高校のフットボールチーム名をそのままブランド名に頂戴した。REBELだ。
本来、これはレベルと発音する。プラモデルメーカーのREVELL(レーベル)と似ているせいか、日本では「レーベル」と発音するのが習慣になっているが、アメリカではレベルと発音する。完成したルアーはレーベル・ミノーと名づけられた。
レーベル・ミノーをもって釣り業界に本格参入したプラドコ社は、その後ポップRやウィRなどの名作を生み出す。
第1回クラッシックのオフィシャルボートはレーベルのボートだった。
本業がプラスティックの成型だけに、プラドコ社はレーベルブランドでルアーを収納するタックルボックスも作った。さらにバスボート、エレクトリックも作った。あまり知られていないだろうが、第1回バス・マスター・クラッシックのオフィシャルボートは、実はレーベルのボートだったのだ。レンジャーボートは第2回以降だ。1975年頃にはレーベルのエレクトリックモーターは、名実ともにナンバーワンの地位を確保していた。当時としては画期的な12/24ボルトシステムで、24.5ポンドのスラストを出していたという。
アメリカではよくあることだが、引退を決意したペレン氏は会社をより大きくしてくれるであろう後継者への売却を考えた。成功した人物は会社を他人に託し、自らは優雅に引退するのはよくある話だ。現在、ペレン氏はフロリダでのんびりと暮しているという。
会社は一族で経営するのが当たり前のように思われている日本とはかなり慣習が違う。また、こういう引退劇、売却はオーナーが代わったので「◯◯会社がつぶれた」というように伝わるケースが結構ある。確かに落ち目で譲渡される会社もあるだろう。しかし、基本的にダメな会社は誰も買わない。逆に好成績な会社は高く売れる。会社の売買はアメリカでは日常茶飯事なのだ。
Pradco社工場 レーベルブランド持つプラドコ社を買ったのはアラバマ州に本社を置くEBSCO(エルトン・B・ステーフン・コーポレーション)、エビスコ社だった。この会社は図書館への情報サービス、出版関係、建築資材、文房具、ルアーやライン、ハンティング用品まで扱う大企業だ。
レーベル社は釣り好きが始めた会杜だけに、できるだけ低価格のルアーを市場に安定供給することをモットーにしていたが、その精神はエビスコ傘下となっても引き継がれた。エビスコ牡はプラドコ社を残し、これを母体に名実ともに世界一のルアーメーカーを目指したのだった。
1980年コットン・コーデル、83年ヘドン、87年ホッパー・ストッバー、88年ボーマー、89年サウス・ボート、90年クリーク・チャブ、レイジー・アイク、91年にはバブリー社からシルバースレッド部門、92年リバーサイド、スミスウィック、98年フレッド・アボガスト。
これだけの会社、ブランドを吸収合併し出荷数においても世界最大のルアー・メーカーとなったのだ。
各ブランドにはそれぞれの誕生秘話がある。「釣り好きが釣り好きのためにルアーを作り、いつしか評判になってメーカー(商売)となった」というケースが大半だ。レーベル社のモットー同様、彼らはビジネスマンである前に釣人だった。その精神は見事に受けつがれているといえる。
「いちばんの報酬はアングラーの笑顔だ」。
プラドコ社が目指すもの。それは創業者のジョージ・ペレン氏が強く抱いていた、釣りを楽しむためのよりよい商品をより安く、安定して市場に供給することだ。だからプラドコ社が商品に希少価値をつけるために意図的に出荷を抑えるようなことはない。普通ならちょっと気恥ずかしいことだと思うが、マネージャーにしろルアーデザイナーにしろ「いちばんの報酬はアングラーの笑顔だ」と真顔でいう。時代はIT、ITと急がしくデジタル、バーチャルが主流のように見えるが、アナログ世代そのままの職人気質、ルアー、そしてブランドの魅力は色褪せない。