「ヘドンマジック / 210サーフェース・ヒロ内藤」2016年5月号Vol.76
熱心なフィッシャーマンであれば、ルアーフィッシングが何時、どの様に始まったかに興味があるだろう。
ジュリオ・トンプソン・ビュエルは、1806年にバーモントで生まれた。
1830年頃、ジュリオは湖に偶然スプーンを落としてしまった。
そして、くるくると回転しながら沈んでいくスプーンを見ていると大きなトラウトがそのスプーンをくわえるのを目撃したのだ。
この偶然の発見によって新しい魚の釣り方が発明された。
彼は、1852年にこのアイデアで特許を取った。
これがアメリカにおけるフィッシングルアーのパテントの記念すべき第一号となる。約40年後、今度は別のフィッシャーマンがこれも偶然に新たな発見をした。彼の名前は、ミシガン州ドアジャックのジェームス・ヘドンといった。
ある日彼は、釣りに行くために友達が働いている製材所の外で友達が出てくるのを待っていた。待っている間、彼はポケットナイフで棒切れを削っていた。
製材所から終業を知らせる汽笛が鳴るのを聞いたとき、彼は削っていた棒切れを水の中に無意識に投げ入れたのだ。するとバスが水中からその棒切れを目がけて上がってきて、そしてそれを吸い込んだのだ。
これが、彼がプラグルアーのアイデアを思い付いた瞬間だと言われている。
そして、彼は先ず足の部分に釣針をはめ込んだ歴史的にも有名なフロッグを削って作った。それから20年間に、彼はバスを釣るために色んな形のプラグを試作した。彼はついにルアーカンパニーを設立し、1904年にはメールオーダー・カタログを作り全米のバスフィッシャーマンにルアーを紹介し始めた。もし、あなたが何かの商品を作る会社を作ったとしたら、商品カタログの表紙にはあなたの会社の最もお薦めの商品を載せるべきだろう。
ヘドンの表紙を飾った最初のルアー(ドワジャック・エキスパート)は、フロッグでもなくミノータイプのプラグでもなかった。それは、ネックに金属の輪っか(メタル・カラー)が付いた円柱状のスティック形状のルアーだった。
このルアーデザインのために彼はビジネス的には大きな失敗をしたかもしれない。
しかし、1904年から1937までのヘドンの表紙にはメタル・カラーのこのルアーが使われた。1970年代に「210サーフェース」という名前でこのルアーは2年間だけ復活したことがあった。
多くのアングラーは、このメタル・カラーの本当の意味での機能について理解していなかったのだろう。
実は、正直私もこのルアーについて研究し始めるまで多くのアングラーと同様に理解していなかったのが事実だ。
私は、1904年のカタログに次のような一文を見つけた。
【水の上ではごくありふれたものでも、フロッグやミノーに似せたものでも決してない。しかし、それはバスを魅了し、バスの好戦的な本能を刺激し興奮させる。ミノーやフロッグなどをイミテートしたものは、自然やゲームフィッシングについてよく知らないアングラーの心を掴む傾向を持つかもしれないが、これらのイミテーションのクオリティーでは、バスのバイトを誘発するような強烈な刺激とはならない。】
私は、何故彼のメタル・カラーが単純なカップシェープ(お椀状)やフラットシェープでなく、より複雑なカーブをしているのか疑問に思い始めた。ジェームス・ヘドンのパテントの書類にはこの疑問の答えは見いだせなかった。私は、実際に使って試すことの重要性に気づいた。
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そして1904年のカタログの中の、彼のメッセージを私はやっと理解することができた。ジェームス・ヘドンは、こう言っている。
【どんなに生餌に似せたルアーを作っても、何も得ることは無い。】
その代わり、彼のルアーはロッドワークを駆使することによって、ルアーの中に作り込まれたアクション(ビルト・イン・アクション)を引き出すことができる。ポッピング・ルアーとして使うこともできれば、チャギング・ルアーとして、あるいはスティックベイトとしても使える。
このルアーでバスを釣る確率を最大限に上げるためには、リトリーブ中に色んなアクションを織り交ぜることが必要だ。
チャギング・アクションは、バイトのトリガーとなる。何かが起こるのを待つのではなく、ストライクを作り出すことが重要だ。
1904年のジェームス・ヘドンのメッセージを学び、そして理解して以来、それ以前に比べて10倍釣りが楽しくなり、また魚が釣れるようになった。
進歩のための答えは、しばしば過去にあるようだ。